SSブログ

奥州街道を行く 五月舘の追分石 [週末散歩]

本日はみちのく岩手の初夏の風物詩 『ちゃぐちゃぐ馬こ』の日。
昨年は土砂降りの雨の中見に行きましたが、今年はパスしました。
以前は6月15日が祭りの日だったのですが、6月の第二土曜日に変えたのはもう何年前?
晴れの特異日で、雨が降らぬ日で有名だったんですけどね。
諸事情からとは言え、日程を変えたのは何か違うのでは??? とぶつぶつ独り言・・・。

さて先月、一戸町の藤島の藤を見に行った際近くに旧奥州街道が残されている区間があり、
ほんの少し歩いたのでその時の報告です。
以前にも一戸町近辺の旧奥州街道筋は歩いているのだが、今回は初めての区間。
本来の目的では無かったが、偶然旧街道の案内板を発見したので見逃すわけには
いかず、これ幸いと嬉々として歩いたのでした。
案内板がこれ。
DSCN8609.JPG
鬱蒼とした木立の中を行く。
DSCN8630.JPG

DSCN8631.JPG
DSCN8612.JPG
DSCN8617.JPG
DSCN8632.JPG
   目的地の五月舘
   追分の碑は通常道路の分岐点に設置されるが、ここでは山道側に設置されている。
   本来は本街道側分岐設置と思われるが、拡幅時に移動?したのか当初からこの位置か?
   よくわからないところ。     
DSCN8615.JPG

DSCN8621.JPG
     追分石 『右ハ山道 左ハもり岡』の文字が残っている。
     数多く見た追分の碑でもこれだけハッキリ残っているのは初めて見たかも。
DSCN8618.JPG
DSCN8623.JPG
    『文久元年(1861年)』と年月の記名も。
     因みに調べたら、文久元年とは日本では『桜田門外の変』の翌年に当たる幕末の頃、
     アメリカでは南北戦争が始まった年らしい。歴史を振り返ると・・なんか、凄い。
DSCN8622.JPG
     庚申塚
DSCN8616.JPG
DSCN8626.JPG

   案内板にあるように、明治天皇巡幸の際に幅2間(3.6m)に拡幅された、とあり、
   本来の道幅はもっと細く頼りなく、まして明かりもない山道を旅人が行き来していた時代
   を想像すると、昔の人は本当にすごいなぁという感慨しか浮かばない。
   機会があれば、この先の街道を歩こうかと計画中である。

岩手県ランキング
nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

nice! 12

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。